兵庫県姫路出身。

初代京山幸枝若には子供がいて、
浪曲で三味線の伴奏をする曲師との間に出来た子だった。
その子は母である曲師側に引き取られ
興行会社を経営していた曲師の夫が父親となり子を育てた。
子供は成長して学生時代の半ばはフォークソングに熱中して
浪曲には見向きもしなかったが、
友人が持ってきた実の父が口演しているレコードを聞き
感動してそれから浪曲の道を志した。
デビューした当時からやはり親子なので
名人幸枝若と声・容姿がソックリな事から人気は上がっていった。
しかし、ある日両親から自分の父親が義理の父親であり、
本当の父親は自分があこがれている幸枝若である事を告げられた。
ショックを受けたが「こうなったら父である幸枝若に弟子入りしよう」と
1973年に親子として再会してすぐ弟子入りして京山福太郎と名乗った
ある時は厳しい師匠の関係又ある時は親子になって修行時代を過ごした。
しかし1991年に父親であり師匠であった幸枝若が亡くなり
衰退の一途をたどる浪曲界に一時は諦めを感じたが多くのファンのためにと奮闘し、
2004年「京山幸枝若」を襲名して「二代目京山幸枝若」となった。
代表作は「会津の小鉄シリーズ」「左甚五郎シリーズ」
「間垣平九郎シリーズ」「相撲シリーズ」など。
オリジナルの演歌も発売多数。
堅苦しいイメージの浪曲を、
「わかりやすく」「面白く」をモットーに日々講壇に立つ。
社団法人浪曲親友協会会長として若手の育成にも精力的に取り組み、
現代的な浪曲のあり方を真摯に探求しつつ、浪曲の復興に力を注ぐ。